◎第24回商売を語る会 2014,09,26  〜最終回〜 】美容室の歴史といまの課題 規制緩和の問題点、いまの経営 大いに語る 美容師・宮内良一さん(2014/10/28)
  (前回からの続き)
 僕はいま68歳。始めの予定は多店舗展開して、50歳までには現場を上がって経営に回って若い子達にまかせるようと。千代田町でいまの店を始めた頃(1988年)バブルが弾けて、右肩下がりになった。10数人いた従業員が自分から1人2人とやめてくれて、経営的には助かった。インターン生を受け入れて、国家試験を受けて美容師を養成してきたが、最後の1人がやめて、女房と「2人でやろうよ」となった。
中高年専用の美容室を売りに

  ●お客様も年をとっていく。自分の年代にあったお客様だけをやっている。そのほうが、仕事が楽なのとお客様がほかの店に移る確率も少ないので、安定して目安が立ってくる。 ただ困ったのが毎年上から亡くなること(笑)。このため毎年新しいお客を取らなければならない。中心商店街がどんどん寂しくなっていくので、新しいお客様がとりにくくなってきた。これからどうするか考えているのは、昔みたいの編みカラーを巻いて、ロールを巻いて、ピンカールをして「お釜」=ヘアードライヤー=に入ってセットというお店がほとんどない。前橋に何軒あるかな。
 いまの若い人のお店には、ヘアードライヤーはありませんから、ハンドドライヤーとブラシで格好をつける。巻いてセットする仕事がほとんどなくなった。それでお年寄り達が、お出かけするという時はセットしてほしいと僕の所にくるようになる。これが大事で、その時にきちっとしてあげるとあとにつながる。
  セットをしてもらいたいから、うちに来ていただけるようになる。これを売りにして「うちは中高年専用の美容室」と逆に売りにして商売をしている。これでいまは何とかなっている。
  不思議なことに、僕はいま「消費税増税反対」と車に貼付けているが、4月に8%になって、売上は伸びて来ている。

 ●法人にしたわけは老後の社会保障
 美容師になった東京の店は、厚生年金に加入していた。前橋に戻り、個人で開業した3年間は国民年金と国保だった。三河町の店を閉めて、当時大きなK美容室へ就職。お金より仕事がしたかった。誘われて入ったら国民年金だった。14年勤めて1988年7月に有限会社を設立。そのとき厚生年金に加入した。国民年金では生活できないので。10人近い従業員も入った。これがいまも続いて、お店の売上が低くても、自分たちの生活は年金でなんとかやっていける。

 ●変わって行く美容業界
 と言う訳で、これからの美容業会は変わっていかねばならない。美容師養成施設が、美容師だけでなくても、エステ専門コース、着付コース、マニキュアコース、ブライダルコンサルタントコースなどを設定。美容師資格なくても開業できる。美容師になるためのきつい勉強はしなくても済むので、これから美容業と言うものは変わっていくと思う。それでもいいと思う。
これまでのような総合美容室は僕らの年代がいなくなるとなくなっていくのではないか…。  
   (終)
  美容業界の行く末を見つめ、歩み続けてきた宮内さんの経営対策。中高年が増えていく中で共通の悩み解決への好事例でした。
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 ■佳代美容室千代田店 
   前橋市千代田町2-7-4
   ☎027―231−7143
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◎第24回商売を語る会 2014,09,26 〜中〜 そのA 】美容室の歴史といまの課題 規制緩和の問題点、いまの経営 大いに語る 美容師・宮内良一さん(2014/10/24)
(前回からの続き)
 「美容師って弱い。だから組合に入ってまとまらなければならない」と。組合として抗議していくぐらいの気持ちがないと,ますますお客様がなくなってしまうなと。そのころそう思った。

 ■成人式の着物の着崩れ
 仕方なくそういうところで支度をしてきた人が、市民文化会館や県民会館で成人式が終わって出てくるのを待って見ていた。そしたらひどいんです。着崩れが。帯はほどけているは,帯揚げはとれているは,すごい格好をしてそのまま出て行ってしまう。
 それで組合によびかけて、会館の一部屋を借りて式が終わって出てくる人たちに,着崩れを直そうよと。それはいい提案だということになって、支部長が市に申し入れて、部屋を借りて1年だけやってみた。気づいたのは、着崩れで入ってくる人たちは、期着け教室の人ばかり。美容所で着付をしていた人たちは,ほとんど崩れていなかった。「宮内さんの言っていたことがわかったよ」と言われた。
 それで翌年からやろうとしたら,いまの成人式の日にちが、15日でなくなった。第2日曜日になり、日・月とあって、前橋は日曜日にやることになった。すると我々は営業日。成人式の支度が終わったあと、支度が多かった時はそのまま休んだが、いまはお客が少ないので、そのまま営業しないと店が成り立たない。手伝いに出られなくなっちゃった。
 そうしたら、前橋市がボランティアで着付のできる人を募って始めた。いまもまだやっているようだ。

 ■美容師は衛生管理に責任もつ
 僕が強調したいのは、美容師法って一体何なんだということ。美容師法、美容所法があることで、我々が出張サービスすることがダメ。美容所外営業ということで。ところが、美容師でなければどこでやっても法に引っかからない。法律って一体何なんだと思ってしまう。
 それなら規制緩和ということで、美容師法をなくしちゃったほうがいいという気にもなるが、そうなってしまうと衛生管理って一体誰がやるのだろうということになってくる。
 いまでも眉毛やピアスなどで事故が起きている。あれは、ほとんど美容師でない人がやっている。眉の入れ墨などは完全に医師法違反になる。
 美容師がやっているのは、皮膚の状態や何の状態などと、勉強してきている。使う薬品もわかっていてやっているからほとんど事故はない。
 この前、東京で事故があって警察が入ったが、美容師でない人。美容師はほかの仕事をやっていて、店長がオネエさんで事故が起きたものだ。
 
 いま我々がボランティアで老人施設などにサービスカットで出かけている。「何日に行きます」と事前に保健所に届け、仕事をさせてもらっている。このように美容師は拘束させられる法律だ。でもこの法律があるから守られている部分もある。このあと、この美容師法を続けていくためにはどうしたらいいのだろう、自分の商売を続けるためには…と考える。         
 (最終回に続く)
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  ■佳代美容室千代田店 
  前橋市千代田町2-7-4
☎027―231−7143
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◎第24回商売を語る会 2014,09,26 〜中〜 その@】美容室の歴史といまの課題 規制緩和の問題点、いまの経営 大いに語る 美容師・宮内良一さん(2014/10/20)
 (前号からの続き)
 お金になりそうなものを美容の中から引っ張り出して、美容師でない人たちがお金儲けを始めた。
 いつ頃か、そういう力のある人たちが、国会議員を引っ張り込んで規制緩和の中に美容業を引っ張り込んできた。
 美容室の中の仕事を抜いていけば、美容師の国家試験はいらないし、免許もいらない。マニキュアをやりたかったらその学校をつくってやればすむ。卒業すれば店を開いてマニキュアだけの商売ができるように。
 こうして美容の国家試験をやめようという規制緩和がでてきた。

 ●美容組合の役割
 ここでやっと美容組合(全国美容組合=全美連)が動き出した。「そういうことならあなたのところに投票しないよ」と“おどし”をかけた。それで規制緩和が止まっている状態になっている。だからまだ国家試験を続けている。
 僕らの頃は、シャンプーから始まって、着付もやる。ペディキュアやボディーマッサージもやる。そういうのが全部含まれていて、美容師ができあがるには10年かかるのが普通だった。最近の美容師は4、5年で独立する。余分なことをする必要がなくなったからだ。
 例えば成人式一つ見ても、着付教室が頭から何まで支度をしてくれる。写真屋さんもやっている。成人式や七五三を美容師がいなくても従業員がちょこちょことお化粧して、髪の毛はギューッと絞って丸めて、七五三の飾りを着けるだけ。着物を着せて写真を撮って。写真を撮ることが商売だから着付のほうはどうでも良いということになる。結局美容師は上を洗って、カットして、パーマがかけられ、家を染めることができれば独立できちゃう。簡単に独立できるので、簡単に店が閉まってしまうことになる。オープンには友達などが来てくれるが、何回かやっていると4、5年の若い感覚では、やってもらったがこの辺がうまくいかないということで、来店しなくなり、伊勢がやっていけなくなる。とくに店舗を借りている人は家賃だよれになって、最終的には1人で店をやっていき、やがてやめていく。

 美容組合の状態を見ていると、前橋では加入していい店舗のほうが多くなっている。組合は必要だと思う人が、若い人たちにしてみるとメリットがない。必要ないと言われている。組合のほうがアピールできていない。組合に入ってまとまっていくほうが有利にできると思うが。規制緩和の対策もそうだし、組合でなければできない仕事ももっとでてくると思うので、これから強くしなければいけないと感じている。
 規制緩和のことだが、昔成人式で、着付教室で支度をする人がうんと増えてしまって、美容室からドーット仕事が来なくなってしまった。
 グランドベルズ(大友町)で、300人の客を集めたと豪語していたが、互助会で積み立ててそのサービスの中に着付を入れた。この中に美容師が自分の店を閉めて手伝いをしている。1時間2千円ぐらいか?朝2時、3時から手伝い1〜2万円。
 僕はそれをやったら自分の首をしめるよと、組合でも話をさせてもらったが・・。
(続く)
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 ■佳代美容室千代田店 
   前橋市千代田町2-7-4
電話027―231−7143
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◎第24回商売を語る会 2014,09,26 〜上〜】美容室の歴史といまの課題 規制緩和の問題点、いまの経営 大いに語る 美容師・宮内良一さん その1 (2014/10/10)
仕事として続いてきた。お相撲さんの頭を結い上げるのは美容でなく「床山(とこやま)さん」として特殊な仕事になっている。
 髪結いと床屋に分かれて、あるとき理容師が始まった。ここに髪結いが加わった。
 最初は、美容師法はなく、理容師法に含まれていた。美容師法を独立させようとおばちゃんたちが頑張って美容師法ができた。理容学校はあったが美容学校はなかった。
 髪結いから理容師法ができ、同時に保健所法ができた。この時に髪結いから変わってできたのが美容院だった。これが美容室にビューティーサロンにとだんだん変わってきている。
  ■美容学校に入った頃
 僕は、S40年に高校を卒業して美容学校へ行った。男性美容師は少なかった時代で、先駆けを作ったのが群馬出身の萩原宗で、全国的・世界的に有名になった方。石渡潔とか名和宏とかもいた。
 なぜ美容師学校に入ったのかとよく聞かれるが、男性美容師がいっぺんに増えた年があった。僕が美容学校に入る前に、の男性美容師が主役のTVドラマがあり、男性が入学した。入学した時は30人のうち男性は4人しか。いい加減な考えをしている人は面接で全部落とされた。 そんな時代に育ってきた。

  ■規制緩和の“大きな力“が
 美容学校を卒業して、美容師になったあと、規制緩和のはじまりとも思うが、だんだん“大きな力”に侵され始めた。
 最初に出てきたのが今でいうエステティック。顔や体をマッサージしてきれいにする。日本エスティシャン協会財団もできた。美容室の仕事のなかでエステというのは「お美顔」「フェイシャル美顔」ということで、美容師に与えられていた仕事だった。
 この中からお金になりそうなところを引っ張り出して、エステティック、美顔として営業することは、美容師法も美容所法も関係なくできる。
 ところが美容所外で我々がやったら美容所法違反になる。警察に引っ張られる。これが規制緩和の始まりだったと思う。美顔をとられた。「たかの友梨」も前橋に進出してきた。
 それでは、美容師でできることをやろうと、着付教室が始まった。着付も美容師に与えられた仕事だったので、着付や着物になじんでもらおうと、美容師の先生が教室を始めた。これは、自分の首を絞めることになるのでやめなさいよと僕はよく言っていたのだが。
 こうして小さい美容所が全国で始めたら、これをネタに、美容師でない“大きな力”がまとめ始めた。お花やお茶と同じ師範の資格をつくり看板をとらせ始めた。完全にお金儲けだ。(続く)
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 ■佳代美容室千代田店 
  前橋市千代田町2-7-4
電話027―231−7143
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◎【商売を語る会・24回 ー最終・後編ー 】 IT(情報技術)を活用して街おこし コワーキングスペース「田舎フェ」開設 潟uレインファーム 龍野正孝さん(48歳)(2014/09/22)-
(前号の続き)
 龍野 「エンジニアの就業支援」と言っているが、そこまでの力はないので、派遣会社と関係をつくっている。担当と話したり、私がやっている専門学校のウエブデザイン講師として、職業訓練をやっている。学生でなく一般の方を。67歳のおじいちゃんもいる(驚きの声)。私は講座もやるが、就職のことが中心だ。派遣会社さんと仲良くしてこれからおつきあいを、と。

  ◎正規で働きたいが・・ 若者の心境
 うちに来るバイトの学生などは、我々の業界の専門学校や大学で学んでいるのに、派遣に登録しても流れ作業を見ているだけのバイトとかしかなくて・・。ちょうどいい機会なので。
 鈴木と言う仲間とここの学生がプログラミングして、富岡製糸場にプロジェクションマッピング(=ビデオプロジェクターで、立体物をスクリーンとして映像を投影する技法)をする。世界遺産では1例しかない(8月30日に行われた)。
  エンジニアの就業支援はなかなかうまくは行かないが、そんなことをやっている。
 学生が遊びに来てくれるのは楽しい。残念ながら、専門学校のF先生と「県内に就職しろよ」と言うが、県外に行ってしまう。とりあえず新卒は県外に行きたい。やっぱり。でも話していると「ゆくゆくは絶対帰ってくる」という。そのK君は鎌倉に就職が決まった。鎌倉は面白い場所だ。我々みたいな変わった商売をしている会社がけっこう多く、地域的に面白い。世界遺産で開発もできない、道も狭い。鎌倉で立ち上げ、大きくなって外へ出て行くところが多いようだ。
 スマホの学校で関係ができた人に、群馬で起業や出張所、データセンター、サポートセンターをつくりませんかと話している。



 【群馬県は災害に一番強いと参加者から発言】
龍野 それは、めっちゃ売りにしている。会社の近くの市の物流団地が売り切れ状態で、県の企業誘致も“災害に強い”とセールスしている。
 「前橋の街中はいっぱい空いているよ」と、横浜の仲間にも言っている.IT系の助成金やオフィス出した時の人件費助成とかある。サポートセンターなどには良い地域だと。

 【このあと、群馬県はバックアップ機能にすぐれている話題が話され、いわき市から自主避難してきた丹治さんも「私も群馬に来た」と語りました】

 本業のデザイナーと情報技術を生かし、街を元気にしようとする龍野さんの挑戦は続きます。田舎フェや「スマホの学校」はNHK(ほっ
と群馬640(8月7日)で放映されました。
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■コワーキングスペース・田舎フェ
 前橋市千代田町5−13−9中央前橋駅徒歩1分
 電話027−288−0222 潟uレインファーム(龍野)
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◎【商売を語る会・24回 ー最終・前編ー 】 IT(情報技術)を活用して街おこし コワーキングスペース「田舎フェ」開設 潟uレインファーム 龍野正孝さん(48歳)(2014/09/16)
(前号の続き=3回目)
 〈龍野〉 NPOでやっているスマホの学校は、主にシニア向け。田舎フェでやっているので、その方たちにも来てもらっている。群馬県は「ぐーちょきシニアパスポート」という65歳以上の割引券がある。ウチも加入していて、このパスポートを使うと割引料金になる。
 さて、将来展望だが、中小企業診断士とか税理士が声をかけてくれている。ゆくゆくはこの人たちにも、起業したい人を紹介できる。
プロモーション(=販売戦略など)は、ウチの本業として、販路開拓や、派遣、東北の復興チャリティも念頭には入っている。
 起業したいという人多いが、難しくきびしい。

  【ここで、佐藤さん(結婚紹介業)が、起業をしたいという青年の問題の対応などから、生きる力、人間力がだんだんなくなっているように思う。龍野さんの話す「ばか者」やがむしゃらがないと立ち上がらないと話題に】
  
龍野 スピードが大事だ。コワーキングスペースの活動はこんなところ。利益にはなっていない。ただいろんな人の利用があり面白い。インターネットの力だ。これに勝るものはない。僕が情報を発信する側に立ったのはここ2〜3年、「紺屋の白袴」で、震災以降。自社のサイトも事実上なかった(笑い)。スタッフにつくらせるが、不十分でも問合せが来たり、寺子屋さんという塾の利用者さんが、隔週で使ってくれたり、群大の先生がワークショップで勉強の場にしたいとか。年内には家賃分が出るようにしたい。お金よりいろんな情報が入ってくるのが自分としては一番うれしい。
  ●エンジニアの就業支援
 《龍野》 次は、エンジニアの就業支援について。こちらが、ぐんまちゃんとIPhoneアプリ開発講座。ぐんまちゃんをキャラクターにしている。
 アプリとはスマートホンのソフトのこと。このアプリの開発方法を大人に教えている。募集して人が集まったらやる、不定期の開催。
 今はお子様向けに本気でやっていて、夏の特訓として開催し2人が通っている。 パソコンは小学校でもやっているので操作方法はわかっている。これを飛び越えて開発にした。
 というのも、群馬県として、人口が少なくなって、経済が衰えてくるのは目に見えている。そこで、こどもたちに5年先、10年先に食って行ける技術を身につけてもらう。
 開発する意味とか、その過程の勉強が大事だ。プログラミングを今やっていて絶対損はない。 (次回に続く)

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 ■コワーキング スペース・田舎フェ
 前橋市千代田町5−13−9中央前橋駅徒歩1分
 電話027−288−0222 潟uレインファーム(龍野)
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◎【商売を語る会・24回 ー中ー 】 IT(情報技術)を活用して街おこし コワーキングスペース「田舎フェ」開設 潟uレインファーム 龍野正孝さん(48歳)(2014/09/4)
(前回からの続き)
 【龍野】 アプリ開発は、私とスタッフのSがパソコンを担いで月1回東北の「きずなプロジェクト」に参加している。来年再来年と続けたい。
 こんななかで、チラシもなにも、ゆるキャラの“ぐんまちゃん”も申請して、使っている。
 東京で動いたりしていると大なり小なり群馬や前橋に興味を持っている人と出会い、遊びに事務所へ来てくれる。34万人の小さな町。基本的には外との交流がないと活性化はないのではないかと思う。生意気なようだが「若者、ばか者、よそ者が文化を創る」と小声で言っている。いま、なぜか「よそ者」が集まってくる。
 年配の方も、街に来たいんですという人がいます。若い子と年配の人と繋ぎあわせられればいいかなと思う。

  【ここで中心街の活性化について、意見交換。「若い人だけでなく、レトロの昭和ならそれを生かす」、「にぎわいというよりは、町の集積をどう生かすかが大事だ」、「各層が複合した対策が必要では」 「前橋の歴代市長はボタンを掛け違ってきたのでは・・」など意見交流。このなかで佐藤さんは「これまで何人もの先輩が、前橋の活性化に挑戦してきたと思う。が、龍野さんとの決定的な違いは情報発信力だ。前橋へ世界へと。ここが違う」と指摘し、参加者も納得。
   
 【龍野】 いまNPOをやっている。「スマホの学校」は全国に支部を募集し今は5つほど。問合せが多い。4月には九州へ行った。ここに“流れ”ができる。支部の面談なら前橋の本部へ来てもらう。逆に行くこともあり、いろいろ人が動く。
 さらに、ホテルに泊まる。ホテル用のチラシもあり、置かせてもらう。ホテル客用のコワーキングとして利用者がちょっと仕事をしたいという方もいる。パソコンもって仕事をしている。

 【このあと、開業が廃業を下回っている日本だが、国も小規模事業基本法をつくり、5人以下の業者も支援することになったが、商工会議所へ丸投げの恐れもあり、運動が必要と意見がだされました】

  ●「田舎フェ」でやっている コワーキングとは
 【龍野】 前橋市も「女性のための起業セミナー」もやっていて、うちにも資料も沢山ある。商業政策課もウチに相談に来る。女性起業家が直接来ても相談できるスペースにもなっている。
コワーキングとは、欧米では一緒に働くという意味合いがある。白いテーブルが2つ置いてあり、奥に私と社員がいる。ここからは立ち入り禁止。壁一面がホワイトボードになっていて、説明に便利。プロジェクターも映せる。
 ホテルの宿泊客むけにサービス料金を設定した。ここ(田舎フェ)でできることは、パソコンを持ち込み通常の業務が可能。インターネットはもちろん、ミーティング、モーニング、ランチなどを含めて。イベントや講座の開催、スカイプ会議も。例えばテレビスクリーンに映して、遠隔地会議が。ほんとに便利だ。これが無料。
 ワークショップは何でもやっている。フラワーデザインや筆で絵を描く先生とか、いろんな人に声をかける。割と女性は多いので女性の参加が多い。
 で、起業の準備をしたり、協業したり、ビジネスをスタートアップ使用と言う人には便利かなと。けっこういろんな人種がいる。
 当初始めた頃、都内でコワーキングスペースを利用していた。「電源カフェ」だ。我々は電源とインターネットがあれば仕事ができるので。しかし狭くて高い、混んでいる。なので、最近はドトールにいく。電源カフェは2時間1500円、1時間1000円。だったら、喫茶店をと。季節によっては店の前がオープンになっていて、私には煙草が吸えて嬉しい。

  ●いろんな人たちとの交流が楽しい
 前橋は都内と比べて田舎だし利用者も少ないので、デザイナーなど自分のような業者が来ると思っていたが、そういう連中は遊びに来ちゃう。そうじゃない人が来た。医者や大学の先生、水泳のスポーツインストラクターとか、まちなかに開業するピアニストとか、ぜんぜん違うような人が来て楽しい!
 ドロップインとは、契約なしで突然来た場合。1日1000円、2時間500円。電源と無線LAN、ワイファイ、コーヒー無料。学生、シニアは1日500円、2時間300円。マンスリー会員は月契約で何日でも月1万円。 講座会員は、講座を受けた人に割引する。開催中のアプリ講座は5回だが、受講者は無料。   (次号へつづく)
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 ■コワーキング スペース・田舎フェ
 前橋市千代田町5−13−9中央前橋駅徒歩1分
 電話027−288−0222 潟uレインファーム(龍野)
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◎【商売を語る会・24回 ー上ー 】IT(情報技術)を活用して街おこし コワーキングスペース「田舎フェ」開設 潟uレインファーム 龍野正孝さん(48)(2014/08/29)
 24回目の商売を語る会の語り部(講師)にウエブデザイン・グラフィックデザイナーの龍野正孝さんを迎えました。
中心街の千代田町5丁目にスマホの学校などの事務所「田舎フェ」を解説して、IT(情報技術)を活用したまちおこしに挑戦しています。8月には「NHKほっと群馬640」でも紹介され、注目されている方です。佐藤さん(結婚紹介業)、丹治さん(ワープロ修理)、古谷さん(健康アドバイザー)、店橋事務局長らが参加しました。

■プロジェクトを共同して立ち上げて
 群馬に来て23年(神奈川生れ)、3年前大震災があり、娘も2年前に大学を卒業した。自分の好きなことをやろうかと思って、8ヵ月前の県民の日、前橋の千代田町に事務所を借りた。デザイナーはもともとこもっている仕事だが、外に出るのは好きなほう。そこで本業以外のことをやり、NPOもやっている。
 あるプロジェクトがきっかけになり始めた。「クロスアイ・プロジェクト」といって、群馬県、地域発展のためのプロジェクトで5つの柱に。

 1つ目は「群馬初の本格的アプリ開発講座。これは、アプリ塾と言って、アプリ開発の講座をやっている。プログラマーを育てること、エンジニアをいっぱい増やしたいなと。そこで中心街に「コワーキングスペース」と言うオフィスを兼ねてつくった。これは若手起業家とかデザイナーとかフリーランサーの連中が来て、仕事をしたり、シェアオフィスより柔らかい場所。壁で区切られないで、大きなテーブルがあるだけで、みなさんが席に着いて仕事をしたり、しなかったり、情報交換するスペース。

 そしてアプリ開発をして、エンジニアの就業支援をしたいなと。派遣会社とのおつきあいも始めている。
その中で就業支援しても群馬県にはシステムの仕事がない、エンジニアも東京に行っちゃっている。変なV字型でなく、群馬県内でシステム会社がエンジニアを雇ったりするつながりができればいいなと。こうして中心街が元気になっていき、前橋・群馬が活性化すればいいなと、大きな生意気なテーマもやっているプロジュエクト。2社が協力パートナーになっている。 (続く)
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 ■コワーキング スペース・田舎フェ
 前橋市千代田町5−13−9中央前橋駅徒歩1分
 電話027−288−0222 潟uレインファーム(龍野)
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◎【商売を語る会・23回 (最終回)】 NPOを立ち上げて福島支援も。模索を続けて  歯科技工士 倉品 久さん(50歳)(2014/07/6)
(前号の続き−最終回)
 9月から10月にNPO法人を立ち上げたいと思っている。福島の仮設住宅に住む人や、仕事が決まらずに困っている人に入れ歯を作って差しあげたいと。寄付してくれる業者がいたらぜひ紹介してほしい。頑張ります。

 ■マイスター制度があれば身分保障される 
 
 Q泉関:今治療中。検査をしたら奥歯が歯槽膿漏という。ブリッジはいやだ。歯医者と歯科技工士の関係は?

倉品:20歳過ぎると、ほとんどが虫歯より歯周病だ。型を取るのが医者の仕事で、仕事をもらうのが基本。ぴったりの型をもらわないと困る。私たちは均一料金だが、先生が患者から頂く金額はまちまち。同じものでもうまい下手の技術がでる。
 めざすところは、ドイツの「マイスター制度」のようなものがあると良い。日本は、国家試験をとったら更新しなくとも良い。努力する人はしているが。
 歯医者と技工士は「最高の情報を患者さんに提供する」役割がある。先生より患者さんにうまく説明できるところもある。インプラントの危険性も上手にはなす。患者自身が悪いときもある。
 現在、医者との取り引きは30軒ある。最盛期は70軒あったが、千葉や足利の業者が進出してきた。経営は厳しい。
 開業した人に何軒営業に回ったか聞くと5軒という。最低1日10軒、50軒行ってから。飛び込みを断られてもあきらめてはいけない。歯科技工士会は昨年やめた。何もしてくれないので。

 Q:福島の支援はなぜ?
倉品:そろそろ自分にも何かできるのかなと。医者は現地で支援しているが歯科医師・技工士は聞かない。だったらやってみようと。うまくいけば名前も知られ、本業につながればと。福島で困っている事があれば、応援できる。
  
 このあと倉品さんから、商売・民商の先輩に聞きたいことがあればと質問が出され、隙間産業についてどうアンテナ張っていたかなどの質問が。泉関さんは「大手が手を出せない仕事に工夫」など答えました。

 佐藤さんは「いい商品を作っている。営業方法も知っている。インストラクターの強みを発揮し、今自分が持っているものを売れるような仕組みを10年〜15年ぐらいで確立すればよいのでは」と語り、成婚者が3038人を超えたことも紹介して、助言しました。

◎【商売を語る会・23回 (中)】インストラクターとして良質な成型器の普及めざし 「ファイン」 歯科技工士 倉品 久さん(50歳)(2014/06/26)
(前回からの続きです)

 アメリカのロサンゼルスで学んで戻って、2003年の10月から営業をかけた。20日で閉めたら売上が840円だった!これではまずいと翌月からサンプルの販売もしてどうにか30数万円、半年後の4月には100万円と売上は順調に伸びていた。右肩上がりがつづいてきたが、2008年のリーマンショックでドーンと落ちてしまった。

 ◎医師の反響はすごかった、が・・
 11年前の当時、医師の反響はすごかった。市内に約200軒の歯医者があったが、60軒はとれた(驚きの声)
やがて、当然まねする人が出てくる。それは良い。私だけで全国の仕事はうけられないから。国内の要所要所に入れば良いと思う。しかし問題は、その人たちが安い成型器を買って始めてしまったことだ。
 僕は成型器のインストラクター(指導員)なので、講習会をして作り方を教える。その通りにやっていれば慣れるし、素材もものすごく良いので評判はあがるはず、だ。
 ただ器械だけは良いものを使わないとダメと、口を酸っぱくして言っても、70万円から150万円の安い器械を買ってしまう。僕が勧めているのは450万円だ。高いと思うが、しかし元はすぐとれる。リースを組んで6〜7万円だが、月に数個作れば元は取れるのに、そうしない人が多い。
 結局のところ、変な安い器械を入れて、作った入れ歯に悪評がたつ。「ルシトーン・FRSはだめだ」と。器械によって製品に違いが出るというのは、アメリカに行って学んできた。
 まだまだ、先生たちが器械のことを理解してくれていない。どの器械を使っているかをまず聞いてもらい、うちに出してもらえば良い。先生にも歯科技工士にもわからないのなら、いくらでも説明をする。ただというわけにはいかないが、いいもの作ってくれれば、指導料は3万円でも5万円でも良い。 
 (次回に続く)
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■Fineファイン
歯科技工士 倉品久
前橋市嶺町1889-1
電話027−264−0811
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 【入れ歯の写真説明  上が倉品さんの扱う針金を使わない審美性に富んだ入れ歯。下は針金を使った差し歯(中央の部分)】

◎【商売を語る会・23回 (上)】針金のない入れ歯を作る 「ファイン」 歯科技工士 倉品 久さん(50歳)(2014/06/14)
 23回目の商売を語る会は、歯科技工士の倉品久さん(50)=芳賀支部=を語り部に迎えました。経営元気塾塾長の佐藤秀幸さん(ハッピータイム会長)や泉関安夫さん(ホッカン高圧ゴム社長)ら4人がお話しを聞いて商売交流しました。倉品さんは、プロジェクターを使いながら説明。

 ■発がん性物質の出ない入れ歯を
 ■作る器械を日本で初めて導入
 (写真を映し) これが昨年購入した「エクリプス」という器械(成型器)。欧米では一般的だが、日本で第1号器として購入した。紫外線照射と温風も使って硬化させる。
 一般の入れ歯のほとんどが、発がん性物質を出し続けている。50年ぐらい入れ歯の材料自体が変わらないので。この器械のいいところは発がん性物質が出ないところだ(驚きの声)。
 また、従来の入れ歯はプラスチックの容器で、出てはいけない「モノマー」という成分が100倍以上出ている。欧米では『人体に害を及ぼすモノマーが出ない入れ歯』になっている。 
 もう一つの特徴は、透明な入れ歯が作れることができること。クラスプという針金を使わないものだ。
ただ日本では保険が利用できない。
 (写真を映し) 人への適合性がすぐれ、発がん性物質がでないすぐれもの。実物を見ると、普通の入れ歯と違い、針金が無く、高級感があり、審美性(美しさ)のあるものに仕上がってくる。
 保険適用の入れ歯は昔から見ればいいものを作っている。でも保険は先生にダンピングもされている。今は保険の仕事は割に合わないので、ほぼ100%が保険外だ。自費でやってもらう。
 義歯を作り装着した、ほとんどの人は、針金を使うのはいやだと言う。人前で話す人や女性などはとくに針金のある入れ歯をけっこう気にする方がいる。
 「発がん性のない歯を作るので、インストラクターになってほしい」とアメリカから誘いが来た。名前を売り込むにはいいかなと思い、応じた。
 2003年にロサンゼルスに出かけて、勉強して戻ってきて、今の器械を導入した甲斐があるというものだ。 (次回へ続く)
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■Fineファイン
歯科技工士 倉品久
前橋市嶺町1889-1
電話027−264−0811
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【写真左:倉品さん 優れものの成型器  中:優れものの成型器
 下:針金がない入れ歯の見本】

◎【商売を語る会・22回 (中)】”厚さ45ミリの床板 人と違うことをする” 新建材を使わない家をつくる 大工さん マルヤマ工務店 丸山磨さん(57歳)(2014/04/18)
 (前号の続き)
 法隆寺は1300年の芯柱を使っているが、100年経った木は100年目が一番強くなる。今年の大雪でも、古材でつくった小屋はつぶれなかった。この古民家を新築住宅にも活かしている。今の家は銀行(ローン)のための家づくりとも言える。集成材は糊=接着剤=の寿命が材料の寿命だ。しかし古材はちがう。経年変化で色が変わるが、大変味のある色となる。
  
 ●「まち歩きマップ」作成
 古民家協会は県内各地からいろんな建築設計や業種の人が加盟している。私の仕事にとってさまざまな情報を得ることができる。たくさんの仲間がいることが大事と思う。
 総社町山王地区の古民家・近代養蚕農家建築や日本最古のお寺などをまとめて「まち歩きマップ」を作製した。それにもとづいてボランティアで「町歩き」をサポートしている。1回目は案内チラシをつくりいろんなところへ置かせてもらったが反応は今ひとつ。2回目は知恵が出て、NHKの後援をもらい、ニュースで放映され反響が広がった。マスコミに後援を依頼することを学んだ。3年目になると私たちの努力が大分浸透してきたのが分かった。石の上にも3年というが、見ている人は見てくれる。
 まち歩きマップのなかには、養蚕と武家住宅の様式をいっしょに残している貴重な建物もある。廊下は矩手(かねて=直角)に曲がっていて、刀が抜けないようになっていることが分かる。

 ●45ミリの厚みの床板 
 本物は長持ちする。音楽や絵も、時間をかけていいものがつくられる。私は、人と違ったことをやるようにしている。農家でもブランド化や付加価値を付けて売る時代。
 工夫の一つは、床板に45ミリの厚さを使用することだ。一般的には厚さが15ミリの厚さのフローリングを使うが、その3倍の厚み。それを浮造(うづくり)といって、床板の表面をていねいにこすり加工する。自然な凹凸が足の裏をやさしく、心地よく刺激する。45ミリの厚さの床板を使っているのは日本ではたぶん私だけと思う。
 施主の家を訪問先したとき、試してもらう実験をする。45ミリの床材と一般の床材を冷蔵庫で20分冷やし、取り出して数分置く。すると薄い板は冷たいままだが、45ミリはあたたかい。この実験をして、床暖房の代りになると話すと誰もが納得する。
(続く)

      ■■■■
●古民家再生 マルヤマ工務店
    前橋市総社町総社2688-1
 電話027-210-7368 FAX210-7369

◎【商売を語る会・22回 (上)】”初めは相手にされなかった そこで考えた・・” 新建材を使わない家をつくる 大工さん マルヤマ工務店 丸山磨さん(57歳)(2014/04/06)
 「毎晩2時まで見積りをしている」と忙しさの秘訣を公開した商売を語る会。3月24日、8人が参加し交流。丸山さんのお話です。
 
 いま“安く、安く”というデフレ状態。県外の業者も入り、安売り合戦では絶対勝てない。われわれは問屋から資材を購入するがハウスメーカーは直に買う。出発時点で負けている。年間やっても3棟、ハウスメーカーは年間1000棟ぐらいは建てる。すると“この値段でやれよ”となる。そこで建売業者やハウスメーカーができないこと、“差別化”を考えた。違うことは何か。無垢(むく)の木を使うこととか、ぬり壁にして新建材を使わない家をめざした。しかし注文がすぐ来るわけではない。そんなとき、私の住む総社町山王地区には100年^120年経つ古民家が取り壊されて新築される。もったいないと思い何かできないかと思っていた。

 ■地元の古民家群を調査へ
 個人の家に営業に行っても「大工=金儲けと」ととられ相手にされなかった。
 弱ったなと思っていたが、ある日ネットで「古民家鑑定士」の資格があると知り、認定を取った。その頃、兄弟子の息子が「古民家再生協会」を立ち上げ、私も入った。
1年目は手探りで、県庁・市役所へあいさつに回った。私が山王地区に立派な古民家があるので調査しようと提案した。黒船の時代・嘉永7年に建った建築などを調べ、当主にも確認し聞き取り調査をしていた。
 そのうち、「どうしたら保存できるか」と相談がくるようになった。こっちから営業する必要はなくなった。いいものだと知らせると“残したい”となる。結婚し、こどもを育てと思い出のある家。聞いてみると「大きくてダメだ。寒くてダメだ」となる。壊すのかといえば「残したい」と。それでは「リノベーションを」と提案。“リフォーム”は取り壊すが、壊さない。近代的な設備を入れ、温かくしてIHややシステムキッチンも入れる。外から見たら”昔のまま”に戻す。鉄板を剥(は)いで、漆喰(しっくい)を塗ったりなど提案をする。すると「ウチをやってくれ」と仕事になる。

 ■大手がやらないことで活路
 これまで、3軒再生し、2軒をプラン中。つまり大手がやらないこと。古民家再生は面倒で、伝統的技術がないとできない。新建材使ったのではダメ。新建材は建築屋にとっていい品物。大量生産で安く見た目がよく呼び名も良い(笑い)。でも古民家は無垢でやらないとダメだ。玄関框(カマチ)も新潟から古材を材木屋から仕入れる。古民家の解体したものは“狂い”がなく、框や床板に使う。手間もお金もかかり、面倒だが、ある程度の技術とノウハウがないとできない。ハウスメーカーは入れない。 (続く)

      ■■■■  
●古民家再生 マルヤマ工務店
         丸山  磨
    前橋市総社町総社2688-1
 電話027-210-7368 FAX210-7369

◎【商売を語る会・21回 】笑顔に囲まれて暮らそう」が合い言葉=介護施設「おひさま通り」代表・内田光昭さん 商売を語る会(2014/02/18)
 1月27日に開かれた商売を語る会は、力丸町で2年余りデイサービス(小規模通所介護施設)を運営している帰ki社長の内田光昭さん(47歳)からお話を聞きました。佐藤さん(結婚紹介)、泉関さん(ホース修理)、久保田さん(機械据付)ら5人が参加しました。

 介護施設「おひさま通り」のコンセプトは「笑顔に囲まれて暮らそう」を共通の合い言葉にして、5人のスタッフと一緒にお客様に接しています。
 内田さんは「開業にあたっては1ヵ月近く融資が前へ進まないで悩んでいたところ、母の友人の水上恵美子さん(中央支部)を通じて民商へ入会。店橋事務局長が県の融資窓口へ電話を1本かけたら、もつれていた糸がほぐれるように、お金が借りられ開業。感謝している」。
 証券会社に勤めていましたが、家の都合で前橋へ。そして「開業前に100ヵ所以上介護施設を調査・見学して“清潔にしたい”と思った」。 
 
 ▼掃除が仕事△
 定員は10人ですが、現在一日平均5〜6人の利用者です。内田社長の給料はでていません。「ぼくはいま掃除が毎日の仕事、あとは送迎とみなさまの顔を見ることです。人集めはスタッフが頑張ってくれています」。
 「開業してからすでに5人の方がお亡くなりになりました。我々にできることは今を、ベストを尽くすことだけです」と内田さん。「常に気にかけているのは笑顔です。笑わない方もいらっしゃいますが、それでもベストを尽くして接しています」と語り、笑顔のあふれる施設として、サービスに心がけていることを紹介。「いつでも開いていますので、どうぞお立ち寄り下さい」。
 ※参加者には、親を抱える人もいて、介護保険のしくみも質疑が深まりました。「もう少しで軌道に乗ると頑張っていることがわかった」「介護保険について勉強になった」という感想が出されました。
 
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 ●デイサービス おひさま通り
  前橋市力丸町435−5
  電話&FAX027−226−6411

◎前橋市と懇談 中小企業振興基本条例を活かして、仕事確保と直接支援を要望(2014/02/06)
 前橋民商は1月30日、前橋市の産業政策課と懇談し、10月に施行した中小企業振興基本条例を生かした中小業者支援や地域振興を求めました。民商から大野会長や中山、古谷副会長、店橋事務局長ら5人が参加しました。市側は、岩佐産業政策課長ら同課の職員4人が参加。
 民商がこの間、地域振興条例制定と実施を前橋市に求めてきた運動が実り、「前橋市中小企業振興基本条例」として策定されたことから、条例の具体的施策の実施を求めて懇談を行ったものです。

 大野会長からは、4月の消費税増税は業者にとって死活問題になっていること、10年前と比較し保証協会の利用業者が1万人減少していることなど、業者のおかれているきびしい実態を紹介。「仕事確保と直接支援ができるよう、具体的な施策の実施を」と求めました。
条例について細井係長は、金融機関の役割が入っているのは全国でも少ないことや大企業・金融機関・行政などと中小企業支援で連携をとっていくことを重視していると説明。中小業者を支援し、地域経済を振興する“点では意見が一致しました。

 中山副会長からは、制度融資の金利ゼロや保証料の全額補助の要望が出され、高崎市のような「商店リニューアル制度」の実施など直接支援を訴えました。また、政策の実施など推進する審議会に民商の代表を入れるよう要望しました。
 審議会への参加については「全国で民商から代表が参加している自治体があることを承知している」としつつ、条例策定の団体で運営したいとの回答にとどまりました。

 市は具体的な実施のために「産業ビジョン」の準備をしていることを明らかにし、今後も懇談を続けていくことを確認しあいました。
 中小業者への直接支援に役立つ条例にするため、運動を強める必要があります。
 
 


 

◎中小業者決起大会に全国から1600人 増税中止させ、暴走する政治ストップへ 前橋から2217人の署名届ける(2014/01/31)
 安倍政権の暴走する政治を阻止し消費税増税中止と景気回復を求めて、全国の中小業者1600人が日比谷公会堂へ集まりました。前橋の代表18人は渋川や沼田の仲間とバスで参加。1月に大きく広げた「消費税増税中止・景気回復」を求める請願署名2217人分や商店街の賛同署名を提出しました。

 集会では、全国中小業者団体連絡会(全中連)の国分稔代表幹事(全商連会長)があいさつ。「政治を変えて中小業者支援、増税中止、賃上げで景気を回復しよう」と訴えました。
来賓には都知事候補の宇都宮けんじさん、全労連大黒作治議長、日本共産党の小池晃副委員長・参議、倉林明子参議がかけつけ、連帯あいさつ。沖縄や北海道、東京などの代表4人が決意表明しました。集会後、国会までデモ行進しました。

 集会前に、群馬選出国会議員に要請。「先生の意志はわかりません」(自民・山本一太参議秘書)や「景気対策もやっていますから」(羽生田俊参議秘書)などの対応で、切実な声を正面から受け止める姿勢は感じられませんでした。

 参加者からは、「今日は元気をもらったぞ!」と共通の感想が語られ、「5%のときも景気が悪化したと要請した」(東部・石川さん)「葬儀代に8%はもらえない」(大胡・吉原さん)など、増税中止へ、引き続きたたかう決意が語られました。

 【写真左=国会前で「増税中止へがんばるぞ」と唱和  写真右=都知事候補の宇都宮けんじ氏があいさつにかけつけた 写真下=静岡の代表も決意表明。3・1ビキニデーにもふれる】

◎「いま、直接仕事につながる支援を」 国保証取上げや『保証しぶり』などで調査・指導の検討を約束 群商連・民商が県交渉(2014/01/25) 
 民商・群商連は15日、群馬県と交渉し地域振興策や融資、国保問題で業者の抱える切実な要求35項目の実現を求めました。前橋から婦人部や 三役ら7人をはじめ、全県の民商や婦人部役員ら26人が参加しました。県産業政策課の戸塚課長らが応対しました。

 群商連の大野会長は「個人消費が伸びず、円安による原材料や燃料高騰できびしい。消費税増税が強行されれば中小業者と日本経済がだめになる。群馬県中小企業憲章にもとづき支援施策を強めて欲しい」と求めました。

 萩原副会長は「中小企業庁の統計では、09年から12年までの3年間に中小企業が35万社も減少し385万社になった。多い時は600万社もあった。県内も同様だ。いま直接仕事確保につながる補助や思い切った施策への改善が必要だ」と要望。
店橋事務局長は「制度融資やセーフティーネット保証は全額保証すべきなのに、保証協会は部分保証を求めている。制度融資のあり方をこわすものだ」と指摘し、改善するよう指導を求めました。
藤岡の石田事務局長は「県の公共事業に社会保険料が上乗せされた。これが下請け業者まで払われているか調査して欲しい」と要望しました。
 
 「住宅リフォーム助成」については昨年より後退だ」の指摘も。『国と同じような性能向上』を考えていて、県内市町村が実施している使い勝手の良い制度創設の回答はありませんでした。
国保税の引き下げや資格証発行、減免制度の拡充などを求めました。国保税に関しては「高いと思います」との認識を確認。高崎民商からは「国保税を3回滞納すると、保険証を発行しない」実態を告発し、指導を要望。

 <県の回答で一定,評価できるもの>
 県は交渉の中で、@保証協会の対応の改善 A税が完納できず、分納約束でも融資対象とする問題 B税金滞納で国保証を取り上げる問題 C公共事業への社会保険料上乗せについて、それぞれ調査、指導を約束しました。
 交渉には、日本共産党の酒井宏明県議が同席しました。

 ◎民商の力大きくし 要求実現を
交渉に参加した店橋事務局長は、「中小業者が地域経済に果たす役割や、厳しい実態への理解と危機感が感じられない。改善への具体的手立ても不十分。民商として、要求掘り起こしをさらに強め、行政に対する力を持つためにも会員・ 商工新聞の拡大強化を会員のみなさんとすすめたい」。


◎【地域に根ざして 音楽と仕事と】  <新春インタビュー> =ピアノ調律師・群馬シティフィル事務局長=中山誠二さん(2014/01/07)
 中小業者は、地域経済を支え、日本経済の土台の役割を果たしています。個性と技術を活かして行き届いたサービスを提供しているのが日本の中小業者です(=全商連の日本版・小企業憲章)。
 ピアノ調律師の中山誠二さん(61歳=前橋民商副会長・会計)もその一人ですが、中山さんはもう一つの顔があります。それは県内でも評価の高いアマチュアのオーケストラ「群馬シティフィルハーモニーオーケストラ」の事務局長としての顔です。ニューイヤーコンサートin富士見(1月25日)の演奏会に向けて、練習に余念がない中山さんに会うために、生涯学習センター多目的ホールへ出かけました。

 そこには、団員のこまごまとした相談に対応し、ホルンの練習に励んでいる中山さんがいました。

●音楽が生活そのものになっていますが、生い立ちは 
 前橋市千代田町2丁目で大工の二男として生まれました。前橋2中の2年の秋、吹奏楽部の先生に声をかけられ入部し、ホルンと出会う。高校でも吹奏楽を続けたが、大学ではワンダーフォーゲル部に入り、テントを背負って山を歩き回った。学生時代いろいろなアルバイトをしたが、ピアノの運送のバイトをしたときにピアノの調律という仕事と出会いました。卒業後守屋楽器(高崎)に入社して学校販売など営業をやったあと、河合楽器の調律師養成所に入所。浜名湖に近いところで寮生活を送り、25歳の時からピアノ調律師としての人生が始まりました。
 その夏、前橋にオーケストラを作りたいので参加してくれといわれ、設立に加わった(前橋フィルハーモニーオーケストラ)。10年後の1986年に高崎市民オーケストラと合同して、群馬シティフィルハーモニーオーケストラとなり、今日に続いています。
 毎年2回の定期演奏会のほか、富士見町の中央公民館でニューイヤーコンサート(今年は1月25日・無料)や県内各地で演奏をしてきました。
 オーケストラは事務局長をまかされています。担当楽器はホルンですが、ホルンという楽器はギネスブックでも演奏が難しい楽器と認められているくらい演奏が大変ですが、音色はすばらしいので魅力ある楽器です。

●調律師の仕事についてお聞かせ下さい 
 ピアノの調律という仕事は、音程を合わせる作業だけでなく、鍵盤の動きや、内部のアクションという機構を調整することにより弾き易くし、弦を叩くハンマーの硬さを調整することによって音色をそろえることも大切なことです。
 ピアノがあるところへ出かけ仕事をします。一般家庭だけでなく演奏会やディナーショー、保育園から老人ホーム、病院その他いろいろな施設へも出かけます。NHKのラジオ体操では、高崎の浜川陸上競技場で夕立の中テントの下で調律をしたこともありました。
 ピアノは寿命が長く、40年前のピアノが今でも現役です。そのこともあって、ピアノの生産量はピーク時の10分の1以下になっており、若い人が調律師をめざしてもなかなか仕事として成り立ちづらくなっています。しかし、音楽文化はさらに進んでいくでしょうから、調律という仕事も続いていくことでしょう。

●民商との出会いは 
 40歳のとき、守屋楽器より独立し開業。開業後、税金の申告が必要となり入会しました。3年ほど立って南橘支部の役員になり、会計係などをやってきました。前支部長の日野さんが病気で倒れたあとを引き継ぎ、支部長として13年。昨年より前橋民商副会長に選出されました。

●最後にPRを 
 ピアノを買うのであれば調律師から買うことを勧めます。売っただけでなく、ずーっと長くそのピアノを調律していく調律師は、いい加減な機種をお客様に勧めませんから。
     ♪ ♪ ♪ ♪
 前橋民商の会計や税対部長のほか、平和行進の団長などを受持ちます。ピアノ調律とともに、地域に根ざして音楽を生業と生活にしている中山さん。今年、活躍が期待される一人です。
 【写真左=夏の平和行進で団長あいさつをする中山さん  写真右=ホルンを練習する  写真下=指揮者・佐藤寿一さんとシティフィルの仲間との練習風景(手前左が中山さん)】
■中山ピアノサービス ♪
  (日本調律師協会会員)
  前橋市青柳町762−6
携帯090―2228―7743



◎前橋市が「中小企業振興条例」を制定 条例の活用で中小業者支援強化を迫ろう 民商は長年実現を要望してきました(13/12/04)
 前橋市は中小企業振興基本条例を制定しました。前橋民商はこれまでくり返し産業振興条例の制定を要望し、中小企業支援や地域経済活性化への施策を求めてきました。10月1日から施行されたこの条例は、作ったから良いのでなく、実行あるものとするため、中小業者の切実な要求実現への運動をいっそう強めていきましょう。

 前橋市の条例は、前文のほか目的や基本理念、市の責務と役割、大企業の役割、金融機関等の役割など13条からなっています。
 前文では「本市の産業において、市内中小企業が、本市経済を発展させる原動力となって貢献してきたと評価」。中小企業の努力はもとより、市として「必要な財政措置を講ずる」こと(5条)や、大企業の中小企業支援を述べる(9条)など、全国的な到達点も盛り込まれています。 12条の『会議の開催等』では、「目的を達成するために必要な会議の開催その他の必要な措置を講じ」とうたっており、中小企業振興の審議会などに民商代表なども参加可能な道を開いています。

【大野会長の談話】
 「長年にわたる運動の成果です。この振興条例を活用し、他団体とも共同して総合的な住宅リフォーム助成や商店リニューアル助成、融資制度の改善など、中小業者の切実な要望の実現へ運動を強めていきたい」。


◎【商売を語る会・20回 (終り)】小さい商売の強みを活かして再チャレンジへ 伊丹 繁さん(ニット婦人服製造販売)(13/11/30)
=前回からの続き=
  <事業の継承で交流>
 ◎佐藤(結婚紹介)=きょう伊丹さんの話を聞いて、超一流のプロであり、ぼくがあった中で1番すごい人。前橋、日本を代表する人だと思った。
 後継者問題だが、私は5年前から考えている。あと10年かけて引き継ぐ。引退するまでに後継者を育てる。

 ◎中島(防火戸製造)=群馬計理の講演会で、就職のとき新入社員は面接するのに、2代目は面接なしに入社する。「裏口入学」だとすごいことを聞いた。息子はやる気満々、自分に仕事が来ると思っている。先日、親会社の大手有名会社の人が来たとき、オヤジでは言えないことを言ってくれた。「私が全部やりますから大丈夫」と答えた息子に「勘違いしないで。うちが中島工業に仕事を出すのは会社と会社の付き合い。しかしオヤジさんに恩がうんとある。恩返しをしきれていないからだ」と。 民事再生を経て、バトンタッチするにはいい環境、本人としてはいい時だ。

 ◎市村(建築・オブザーバー参加)=後継者はいないので、LLP有限責任事業組合に自分の事業を引き継ぎたいと考えている。

 ◎泉関(高圧ゴムホース修理)=息子と甥が後継者。私といっしょに事業しているが、会社の隣で独立開業するというので反対した。東毛区の方での開業なら応援すると。

  <倒産を経てこれから>
 ◎伊丹=特許は18とったがつくると売ってきたので私のものはいま3つ。
 私には48になる息子がいる。妻が倒産の心労もあり他界したので一緒に生活している。工場に入ってずっとやってくれている。事業の承継を考えると、息子がムリなら業界やパートナーの人に教えておきたいと考えている。いま前橋の街の中に人が来ない。うちの仕事がほしいというところもある。そちらに持っていっていいとも思う。
 ◎佐藤(結婚紹介)=“朝頼まれて午後にはできる”というモデルを持っている。ここに特化していくことではないか。
    ・・・・・
 大手の繊維関係も国も注目する創業者の伊丹さんは80歳を超え、今も第一線で活躍。倒産を乗りこえ、これからどういう展開をするのか注視されている伊丹編物。「小さいからいいんだと経済学の先生にも言われた」ヒントも得て、模索を続けています。
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 ■伊丹編物(婦人用ニットオーダーメイド) 
 前橋市総社町総社1-1-22
 ☎027−210−7135

◎【商売を語る会・20回 (中)】大企業とのつきあい方など、経営者としての反省点が 伊丹 繁さん(ニット婦人服製造販売)(13/11/20)
(前回からの続き)
 プリントとは違いなんでも編み込むことができる。このデザインで色を変えてニット、毛糸を編み込む。この特許をもっている。普通は型紙を書いて切るだけのものだが、型紙がなくても寸法のデータなどをインプットすると全部切ってしまう。これも特許。型紙そのものも特許というか・・。
  以前、スイスの国営会社からパターンソフトをどういう条件で譲ってくれるかと話が来た。今年5月にも中国の会社から、開発するので手伝ってくれと。しかし国の方針で、すべて国外へ出してはいけないので断っている。

 ■ものづくり屋だが経営者でない
 ノウハウは確かにあった。なぜ倒産したか。私は「ものづくり屋」であるが人が良すぎて経営者としては、不十分だったことにある。また、大企業とのつきあい方も正しかったかどうか。
 平成7年には、繊維関係の大手企業と提携し、契約料をもらった。さらに大手の精密機械会社とは顧問契約を結び顧問料ももらった。
 また、ほかの会社とも契約したが、大きな会社とのおつきあいの方法はあまりなれていなかった。
 群馬県から絹の里づくりに協力してほしいと頼まれ、シルクの製品を全部まかされて納めたこともあった。
 こうした矢先に、たくさんの見学者がひっきりなしにくるようになった。朝10時から3時まで。お客様の時間と同じ時間帯に対応しなければならないので女性客は次第に来なくなる。これが7年間続いたら、売上が大きく減った。
 もう一つは、ドイツから3台機械をとりたいが、名目だけでも買ってくれないか毎朝車が止まって売り込みにきた「業者」がいた。いらないと断り続けたが、1台約1200万円だったが、契約してしまった。結局、契約書はやくざに回って、7000万円持っていかれた。
 (参加者からは「その頃民商に加入していたら、きちっと法律家の紹介も含めて対応できたのに」と残念がることしきりでした)    (次回に続く)

 ■伊丹編物(婦人用ニットオーダーメイド) 
  前橋市総社町総社1-1-22
  電話027−210−7135

◎【商売を語る会・20回 (上)】4時間でニット婦人服をオーダーメイドする 伊丹 繁さん(ニット婦人服製造販売)(13/11/10)
 20回目を迎えた商売を語る会は、数々の特許をもちニット婦人服の製造販売を営む伊丹繁さん(82歳)を「語り部」に迎えました。佐藤さん(結婚紹介)、泉関さん(ゴムホース修理)、中島さん(防火戸製造)ら5人が参加しました。自社製のニットのセーターに身を包んだ伊丹さんは若々しい。そして驚きの話が始まった・・。
 ◆技術を全国から見学(H4年〜)
 私どもは平成15〜16年前に倒産しています。まずその前段の話から。平成4年(1992)ごろは、繊維業界は中国や新興国の追い上げで全滅に近いときだった。私どもはそれを尻目に相当利益を上げている会社だった。それが業界に知られ、国のビジョンに乗ったが、大企業に結果的にはつぶされてしまった。後述するがひどかった。
 当時業界は、分業化が進んでいたが、当社のように、製造と販売を一体にしたノウハウを持った会社はほとんどなかった。
 その頃は、従業員20数名で楽しく仕事をしていた。「業界を残さねば」「生き残り図る」と、平成4年から7年ぐらいの間に全国から見学が殺到した。
 ◆機械とパターン、流通改革が強み
 わが社の強みは、製造機械とパターンのソフトを開発したことと、もう一つは流通面の改革。中間マージンをなくし利益を向上したこと。5万円のものなら、原価が1万円、問屋が1万円、小売が1万円で売る方が利益を1番とる。
 私達はオーダーメイドで、5万円で売ると相当の利益が残った。業界の多数は仕事がなくなっているのにどんどん仕事が出ていた。当時は石倉町にあって、1人ひとりの客をとり、7000人の客ができていた。10万着をオーダーで作ったが、小さな会社ではほかになかった。通産省も、業界トップも、私どもの会社を見て、教えたり、全国に広げようとしてした。
 私どもは、ニット製品のオーダーを朝受けると昼過ぎには、昼に受けると夕方にはと4時間でできる。
(続く)
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■伊丹編物(ニット製造販売) 
 前橋市総社町総社1-1-22
 ☎027−210−7135

 

 

◎【商売を語る会・19回 (下)】下積み、結実・開花から恩返しへ 名刺クーポンなどの参加者募集中 佐藤秀幸さん(結婚相談)(13/10/01)
(前回9月17日付からの続き)
 大手の結婚相談所は結婚情報を提供するサービス業になっている。なかには虚偽の見合い回数を誇大宣伝したことがわかり、廃業、公正取引委員会から3ヵ月の業務停止など受けたところも。業界大手のA社では(年平均)4万人の会員がいて、27年間で約4,000人の成婚者(約5年前のデータ)。うちは約1,000人の会員でまもなく(25年間で)3,000人の成婚者のお世話をした。A社の成婚率は10%だが、うちは300%を超える。
 ●なぜ結婚相談の仕事に
 20代の頃、飲食店をしていた。若者が寄って来て27組のお世話をした。するとお金がもらえ、喜ばれた。「ありがとう」も「お金」も。親にも親族にも「あなたが世話してくれたのか」と。喜ばれなかったらここまでやって来られなかった。
 そして私を変えたのが「成功哲学」という本(ナポレオン・ヒル)。「思考が物体化する=考えていることが将来現実(形)となる」ということ。30歳前後は「考え方は前向きに明るく考えること」と読んでサークルで、みんなで勉強し120冊広めたほど。私のもとは「成功哲学」。また「倫理法人会」の活動もあった。
 <質問:金か名誉か。次から次へと改革もしているが…>
 若い頃は、「お金」。仲人3,000人で人を育てながら、ある程度お金に余裕ができると、お金は別にいい。いま57歳だが、65歳で引退するため、会長を別の人に譲ると明記してある。2代目、3代目も決めてある。支部長先生への教育を一生懸命している。
 私とつながりのある人々が、少しでもよくなってくれることが喜び。 20代に本を読んだ。20才〜45代は下積み、人生の肥やし。45歳から65歳は結実開花。65歳からは社会に恩返しと思っている。
 A社には客を10軒紹介し、M社には100軒以上紹介している。他の会社にもたくさんのお客様を紹介してきた。国に頼らずともこの地域で売上や所得が上がり、循環するとよい。
             ◇
 「人とあって話すのが好き」と言う佐藤さん。「“困ったら会長に“と支部長や会員さん、知人から相談を受けると、困りごとには強い民商へ相談する」。民商歴は35年になります。
 夜10時近くまで盛り上がった語る会は、参加者からは「すごいエネルギーに圧倒される。人が好きなんだね」、「人と人の信頼関係が大切だ」など感想が出されました。        (終り)
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「名刺クーポン」「社長夢語り」への民商会員のみなさんの参加をお待ちしています。
●泣nッピータイム 前橋市広瀬町2−1−9
 携帯090−8742-1437(佐藤秀幸)
 HPは「nakoudo.jp」または「ハッピータイム」で検索

 

◎【商売を語る会・19回 (中)】経営元気塾でヒントを得た2つの企画 参加者を募集中 泣nッピータイム代表 佐藤秀幸さん(結婚相談)(13/09/17)
(前号からの続き)
 どこからヒントを得たかと言うと、毎月の経営元気塾のなかで全国商工新聞に、その気のある人で広告を載せたらどうかと言う話が出たが、結局持ち上がらなかった。それなら自分でできることはやってみようと企画した。
 ●なぜ無料で紹介?
 「ハッピー名刺クーポン」と「ぐんまの社長夢語り」はすでにわが社のホームページで掲載し、紹介を始めている。
 「夢語り」はインタビュー記事を紹介して来たが、ウェブデザイナーの龍野さん(民商会員・桂萱支部)と相談し、動画で紹介したい(現在は開始されました)。
 ここで質問がくる。「名刺クーポン」も「社長夢語り」もPRして広告料無料なのか?“無料には裏があるのでは? 信用できるのか” という人もいる。
 HPへの掲載も、更新も、変更も、インタビューもすべて無料で紹介している。「○○さんの紹介で」と僕が訪ねてインタビューして動画に記録している。
 こうしてどんどん輪を広げながら、民商の会員さんも含めて紹介し、仕事起こしをする。ハッピータイムにも会員紹介が増える。その際にきちんと紹介料(上限3万円まで)を払う。
 紹介料は建築屋の場合で3%〜5%。1000万円なら5%で50万円の紹介料、2000万円の新築なら100万円の謝礼をする。紹介は、営業経費はゼロだから20%の利益が出れば5%の紹介料を払ってもよい。
● 結婚相談所のいま
 “結婚相談所“と言うのは”お金だけはとられて成婚できない“など、一般的に怪しいイメージが持たれることがある。
 しかしハッピータイムは違う。「結婚相談は教育=人づくり」としてやっている。特に男性教育に力を入れ、セミナーを開催している。勉強会に参加する人の成婚率は83%にも。参加しない一般の会員でも25%。世の中の相談所は3%〜6%ぐらい。ハッピータイムの成果はダントツであることがわかる。(最終回へ続く)
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 「名刺クーポン」「社長夢語り」への民商会員のみなさんの参加をお待ちしています。
●泣nッピータイム 前橋市広瀬町2−1−9
 携帯090−8742-1437(佐藤秀幸)
HPは「nakoudo.jp」または「ハッピータイム」で検索
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 ●税金、融資、経営、開業、くらしの相談は前橋民商へご相談下さい。

◎商売を語る会・19回 (上)】創業25年 ”新企画で顧客を増やす” 参加者を募集中 泣nッピータイム代表 佐藤秀幸さん(結婚相談)(13/09/07)
 「誰だってまぁるくなれば縁がある」。 こんなキャッチコピーで知られる結婚相談のハッピータイムを創設し、25年となる会長の佐藤秀幸さん(57)。グループとして65の相談所を組織し、年内にも成婚3000人(1500組)達成を見込みます。これは業界では驚異的な実績と注目。民商の経営元気塾の塾長として12年関わっている佐藤さんが、いま始めている新規顧客獲得戦略を大いに語りました。参加者は丹治さん(ワープロ修理)、泉関さん(ホース修理)、宗川さん(翻訳)、久保田さん(機械据付)ら6人。

●紙の媒体から、紹介・HPへ
 25年経ってある程度の形になってきた。[教育]としてやってきた。こうしたなか、今年の夏休みから企画している2つの企画について紹介したい。
  紙の媒体による会員入会は減少傾向。地元紙では以前は年間185人が入会したが、いまは5分の1に。そのかわり「紹介」と「ホームページ」が増え6割になっている。もっともっとアクセスを増やし、会員が入会するにはどうしたらよいか考え、2つの企画を立ち上げた。
 その一つが《ハッピー名刺クーポン》。しくみは、まずハッピータイムのホームページを開くと、その店や会社が紹介される。飲食などをして、会計時にスマホかタブレット端末を見せると、特典がつく。ジャンケンをして買ったら10%値引きするとか、サイコロで奇数が出たら3割引、偶数は4割引、ゾロ目は5割引などサービスを印象づける。すると客は黙っていない。「あの店に行ったら得をした」と必ず口コミで増える。そういうアドバイスもしながら、クーポン参加者を増やしていく。
 もう一つは《ぐんまの社長 夢語り》。 “ハッピータイムグループ会長佐藤秀幸がインタビューに伺い、無料で動画で掲載します”といろんな会社の社長をインタビューして紹介し、相手のHPに飛ばすしくみ。このしくみで私のHPへのアクセス数を増やしたい。
(次号に続く)

■「名刺クーポン」「社長夢語り」への民商会員や会員でない一般の業者のみなさんの参加をお待ちしています。私が伺い説明します。お電話下さい。
●泣nッピータイム 前橋市広瀬町2−1−9
 携帯090−9742-1437(佐藤秀幸)

◎商売を語る会・18回 (終)】6月から会員制の新サービス ミセススタッフの訪問も  泣Vンク・シンクホーム代表 神久透さん(家電・工務店)(13/07/29)
 神久さんを迎えた商売を語る会の最終回です。

■商売を紹介    
 神久さんの話を聞いた後、参加者の自己紹介と交流になりました。
 ▼創業40年の中島さん(防火戸製造)は、褐Q馬計理が主催した講演会で会社継承のコツを息子さんとともに聞いた話題を提供。10年前に民事再生対策につくった会社を続けたいと抱負。▼機械設置業の久保田さんは、1997年の創業直後は仕事がなく苦労したが、6年前に娘婿に事業を引き継ぎ、会長に。いまも現場に出かけている様子を紹介。▼ワープロ修理業の丹治さんは、NHKで放映されてブレイクし、しんぶん赤旗に広告を掲載してPR。それ以外は紹介が多く、ホームページは作っていないが、ネットで調べて注文も。最近は仕事が半分に減っている。▼泉関さん(油圧ホース修理)は、50歳に休眠会社を立ち上げて開業。移動して修理に出向く。カタログはせがれたちがつくった。「動く工場」としてオイルからホースまですべて積んで修理。解体業者の重機修理が多く、一般土木は壊れない。▼佐藤さん(結婚紹介)は、神奈川の近代ホーム鰍ェ営業マンを1人も置かず、年18億円売り上げていることや、伊勢崎のある住宅メーカーは年2回、5年間は巡回する。新築中の近所には手ぬぐいを朝晩配る。こうして近所からも「うちもやって」と紹介が必ず出ていると紹介。

■シンクの出前メニュー
 一回りしたあと、神久さんの話の続きがー。
 今、お客さんの名簿は500〜600人あるが、250軒を訪問している。レター(家まる通信)を1〜2ヵ月に一度発行。難しいことは書かず、リフォームや料理、家族の話題などを紹介している。人は知っている人から買う。家電は65歳以上の方が占める。6月からミセススタッフがデビュー。妻と女性スタッフで訪問を始めた。顔を出すことで覚えていてもらえ、リアルな人間関係ができる。少しずつ反応がでている。「シンクの出前メニュー」もスタート。年会費は6000円で、困ったとき、飛んでいく。リモコンボタンの押し違いひとつでもよい。サービスに納得できなかったらお金は返すしくみ。      

 最後に参加者から「電気と住宅の相乗効果がある」。「違う意味でいいアイデアもらった」。「自分で工夫しているのは面白い。若いっていいね」。「このアイデアは続けて。うちの息子とは違う」などの感想が出されました。
 (終)
  
  ■有限会社シンク・シンクホーム
     前橋市若宮町2-10-1
     電話027−232−1370
     FAX 027−232−1667


◎【商売を語る会・18回 (中)】「家電の父親以来の人間関係を基盤に、新しい工夫を」 泣Vンク・シンクホーム代表 神久透さん(家電・工務店)(13/07/21)
 6月商売を語る会は24日に神久さんが語りました。前回の続きです。

 ●黙っていても仕事がもらえた
 人と人とのつながりが大事です。オヤジが築いて来た長年の人間関係、とくに民商や共産党の関係者からの信頼関係があった。
 オヤジが築いて来た基盤のところへ黙って行けば仕事がもらえた。オヤジは電気の技術屋だったが、信用をなくさないように、自分も勉強した。これまでの人間関係を生かしてこその「今」があると思っている。
 家電販売とリフォーム工事をやる中で、たまたま新築工事をもらい、神久電機だけでなくシンクホームの屋号をもう一つ作って工務店としてスタートした。
 はじめは年間1〜2棟だった。3棟のあと1棟と波があったが、ここ3〜4年は4〜5棟になり、よやくここ1〜2年で形ができて来たのかなと。まだまだ“ラッキー受注”や“たまたま受注”が重なっている。今、これを継続して受注にして行けるか考えている。今ある人間関係をもっとしっかり深めて、生かしてコラボレーションして行けないかと。家電2代目、住宅1代目として。この一年は「新築もできるからリフォームも安心ね」という方が増え、効果が現れて来た。 

 ●自然素材にこだわる家づくり
 新築はただ立てるだけでは客は来ない。そこで自然素材を使った身体に害のない住宅をつくる。長持ちするには湿気のない家=結露を発生させない家づくりが特長。調湿効果の高い羊毛という断熱材を使用している。
 ガラスウールなどは吸湿性がなく、一度濡れるとカビやアレルギーの原因になり、シロアリが発生して木を腐らせることにもなる。家が長持ちしないのは、高度成長よりちょっと前からの家づくりに多い。伝統工法は別にして。とっても風通しの良い家をめざして、家づくりの素材は工夫している。

 ●どうアピールするか研究、お金も
 じゃあ、それで客が来てくれるかというとそうではない。家の特長だけでなく、自分のアピールの仕方、広告の写真の取り方、出し方、どういうメディアを使っているかなども研究し、お金も使っている。(写真=パンフ)
 ホームページは龍野さん(ブレインファーム:桂萱)に作ってもらい、何回も作り変えて、以前と合わせると300万円ぐらいになるのかな。そろそろリニューアルが必要になって来た。しかしうちの場合はホームページがきれいだからと客がきてくれるわけではない。この点は考えているところだ。宣伝、アピール、マーケティングの仕方も非常に大事かなと思っている。(続く)

  ■有限会社シンク・シンクホーム
     前橋市若宮町2-10-1
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◎【商売を語る会・18回 (上)】「エンドユーザーが喜ぶ顔がみたい」と家業へ 泣Vンク・シンクホーム代表 神久透さん(家電・工務店)(13/07/09)
 6月に開かれた18回商売を語る会は、有限会社シンクの代表・神久透さん(44)です。佐藤さん(結婚紹介)や久保田さん(機械設置)、丹治さん(ワープロ修理)、泉関さん(ホース修理)らが参加しました。民商会長だった父親(故神久清さん)の事業を継承し、さらに独自に起業している思いを語りました。

 ●「経営」というものに気づいた20代
 オヤジが民商に世話になっていた。前橋工業高校の電気科を中退し、ひょんなことから地元の建築会社に就職。営業や職人とのつきあい方を学んだ。始めは配送の仕事だったが、そのうち営業に配属。バブルが弾けたときとはいえ、けっこう儲かった。
 とある経営セミナーに参加し経営コンサルタントというの仕事があることを知った。一生懸命仕事をするだけでなく会社を経営する仕事があるんだと。将来、会社をやっても面白いと思った。
 その後、26歳のとき同僚や先輩とともに会社を始めた。主に内装、軽天ボードや外装、木工などの総合下請け業だった。まあうまくいっていた。監督さんを飲みに連れて行き、アホやっていれば仕事がもらえた。徐々に儲からなくなって来た。自分の施主・エンドユーザーの顔が見えない。提案してもはじかれる。予算が少ないので「どう手を抜くか」をしていた。ビスや断熱材などどう本数や質を落とすか(笑い)。安くたたかれるとそうなってしまう。こうした仕事はできないと面白くなくなってきた。
 家業をのぞいたら、兄貴の病気もあってやっているのかいないのか分からないような状態だった。でもこれ自体は神久電機を継ぐかどうかとは関係なかった。
 「エンドユーザーを相手にしている家業をのぞいてみるか」という感覚で店に入った。32歳だった。兄貴と一緒にお客さんを廻り始めた。「元々建築をしていた。リフォームならできるよ」と声をかけたら、「じゃトイレを交換して」「外壁をやって」「うちもやって」と、ものすごく好意的に工事をもらった。ありがたいことだ。リフォームを始めて面白いなと思を実感して来た矢先、兄貴は病気で仕事から離れた。私が代表でなりやるようになった。
 今自分がそこそこ商売をさせてもらっているのは、すべて人間関係です。人と人とのつながりがすべてです。(次回に続く)

  ■有限会社シンク・シンクホーム
     前橋市若宮町2-10-1
     電話027−232−1370


◎商工新聞読者の店で商売交流 経営元気塾(13/06/17)
 5月の経営元気塾は27日、商工新聞読者の店「ベリ―ベリ―」(創作中華居酒屋・南町3丁目)で行われました。
 佐藤塾長(結婚紹介)のほか丹治さん(ワープロ修理)、泉関さん(高圧ホース修理)ら5人が参加しました。
 料理を数品注文し、味わいながら商売交流。泉関さんは「田植えが終わる頃、建設の仕事がドッとでてくる」。佐藤さんからは「アベノミクスには期待感があるかに見えるが、株で儲けた4割はヘッジファンド」など話し、国民は景気回復の実感は全くない状況も出されました。「うちは景気が悪いと仕事が増える」と泉関さん。新しい建設機械は買わず、修理で対応するからです。
 丹治さんは「ここ3〜4年は14時間働いて来たが、仕事が半分になったおかげでワープロメーカー10社のデータづくりができた。このため、売上が減っても効率的になり利益率は1.4倍に上がった」と近況報告。 
 また、商工新聞に広告を掲載する提案についての意見が改めて出され、話し合いました。

 6月は24日(月)午後7時半から、民商事務所で、泣Vンクの神久透さん(家電・工務店)を「語り部」に迎えて18回目の商売を語る会です。どなたも気軽にご参加下さい。

◎【商売を語る会・17回 (最終回)】下げられた単価の引き上げ交渉へ 事業承継の手だては 中島工業梶@中島正勝さん(サッシ・防火戸製造販売)(13/05/25)
(前号5月15日付の続き)
 中島正勝さんを囲んだ第17回商売を語る会は最終回です。
  ●カギのはなし 
 扉の鍵をピッキング被害がはやったことがある。メーカーと泥棒のいたちごっこ。すぐ開かないように、うちで作っているマンションなどの新しい扉は鍵が3つ付くようにした。人間の心理は10分であきらめるという。ベテランでも15分かかる。ピッキング対策として@メーカーはシリンダー錠にするA我々は鉄板を2.3ミリから3.2ミリにした。これで被害は大幅に減った。
 ◆質問に答えて
Q 栗和田=スカイツリーや都庁のドアがここから納品されたとは驚き。
A 中島=NASAには日本の町工場でつくったものが使われている。高卒後自動車整備士になろうとしていたが伯父の関連鉄工所に勤め、5〜6人の工場でドアを製造した。サッシの前は鉄を加工し仕事を覚えたのが良かった。21歳で独立し、ずっと作っていたのがトヨタ自工工場の引き違い窓。2000セットをつくり、その後3000セットになった。
 防火戸の取付には資格(国家試験)が必要で、当社は1級技能試験に昭和58年全国6番目に取得した。文化シャッター(以下「文化」)は「特殊なものは中島」と言うようになった。
 業界は競争が激しく県内10数社が2社になった。横浜の大手も倒産した。
   適正価格の交渉
 民事再生の前は「安くとも取っちゃえ」と営業。これが赤字経営の一因だった。現在、低価格で勝負となっているが、うちは「ここまで」と線引きして、それ以下のものはやらない。下げられてきた単価を「元に戻して適正価格に」と文化に言えるようになった。
  民事再生中の10年間は、従業員も給料は昇級なし。ボーナスもモチ代程度で協力してくれた。いま文化には15%の単価アップを申し入れている。
 Q 佐藤=中島さんのように、価格決定権をもつこと、そしてエンドユーザーを持つことがカギだ。下請けでなく「メーカーになる」ことが大切では?
どう事業承継するか
創業者のあとを引き継ぐ2代目の時代に入っている。創業者はワンマン。子とも喧嘩もする。突っかかってくる息子の方が正しいことが多い。 
 Q 佐藤=先代がかわいがっていた人は、一緒に引退が必要。息子さんのブレーンを育てて。私の会社(結婚紹介)も、対策を始めている。
 A 中島=どのように後継者に引き継ぐか。知人の失敗例も見てきた。創業当時からの人もいる。実は10年前、「糾ヨ東サッシ」という別会社をつくって休眠中。民事再生が終わったら長男と次男で、何年か前に納めた扉のメンテナンスを、資格も取ってこの会社でやる予定。人事権や資金ぐりなど任せたい。苦労をともにして来た人は会社にいてもらう…。 
 ・・・約2時間の商売を語る会は終了。丹治さんは「すばらしい話だった。もっと語ってないことがあると思う」と感想を語りました。

  ■中島工業株式会社
    前橋市五代町678−5
    電話 027−269−4851

※次回の語る会は6月24日夜、民商にて。「語り部」募集中です。5月の経営元気塾は27日㈪午後7時半より、南町の読者の店「ベリーベリー」で。参加自由。 





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